繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

涙の理由

この涙は何。何故泣いてる。痛みはもう無くなったのに。痛みがなくなったから泣いてるの?私の感情はどこにある?戻ってきて。こんなSMを知ったらもう、どこにも行けないじゃない。

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先生と出会って数ヶ月。ますます溺れて、ますます求めるようになった。物理的にも精神的にも痛めつけられたいという感情が止まらない。苦痛を与えられている時間だけ自分でいられる気がする。その時間だけ、己を飛ばすことができる。

足に縄がかかる。パブロフの犬みたいに苦痛が先行する。そして自分の中で痛みを広げるとそのまま体が熱くなって思考回路が閉ざされる。痛みの回避をする自分がマゾではないように感じて、そしてそのまま意識を飛ばす。

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痛みで意識を戻すと、その中に幸福があることを感じてやっぱりマゾなのだと自覚する。そんな思考回路の往復のなかで、苦痛と快楽がどんどんと増幅する。

吊られた足の苦痛を和らげるためにもう片方を添えると、それさえ拷問に使われる。もうそんなことはとっくにわかっているのに、やっぱり私は同じことを繰り返してしまう。もちろん、そんなことは許されず可動域を壊された絶望のまま陰部に打ち込まれるのは一本鞭。足、心、頭、そして陰部の全てに苦痛が染まる。そうして、だんだんと侵食されていくこの時間が堪らなく幸せだったりする。

呼吸制御をされているわけでもないのに酸素が薄くなり視界が遮られていく。終わりに見えるのは先生の目。あの目を見ながら最期までいきたいと思ってしまう。どうしてももっと最期までと思ってしまう。でも、最期まではいかない。日常に責任があるから。SMで死なないための日常が私にはあるから。

でもね、日常を生きるために非日常があるの。この苦痛がないと生きていけないから。そんな狭間の中にたくさんの幸せと居場所があって、それが堪らなく嬉しくて、そしてやっぱりそこに涙を流しているのだとこの記事を書きながら気づいたりする。

何度でも思う。この性癖を持っていなければどれほど自由だったかと。でも、その度に思うのよ、この性癖を持っていたから、ここまでの幸せを味わえるのだと。

 

この涙は、嬉し涙。それだけは事実だ。

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