繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

discipline #35 お守り

久々に自分の被虐性に苦しむ夜を過ごした。仕事やプライベートのイベントが重なり、縄の予定が複数回に亘って延期をしたから。

ある日の夕方に一人の時間ができ、被虐性が私を蝕み始めた。その強さは夜にピークを迎え、ありとあらゆる感覚が痛みを欲するようになる。小説を読んだり、動画を見たところでその欲求を抑えられるわけでもないのに、結局そんなことしかできない自分を自分が嘲笑している。そうまでして苦しみたいかと。自慰をしたところで何も解消されないその苦痛の欲求に、私の手が自然と首を絞め始める。言うまでもなく、そんな力も、限界に落とす覚悟もないまま、また被虐性だけが大きくなる。結局自分でこの被虐性を何一つ解消できないことを認識させられるだけだ。

主と出会うまではこんな夜をほとんど毎日のように過ごしていた。そういった意味では、翌日には主との縄の予定があることに幾分の安心感を覚える。そして、またその一方で、もし主が居なくなれば、私はこの被虐性に蝕まれる日々が戻ってくるのかとも思ったりする。

 

次の日の朝、主と縄床に着いて少しの用事を済ませた後、やっと私は苦痛を味わうことができた。そしてスリップもつけずに、肌にその苦しみを直接味わった。立吊りで味わう苦痛は私の被虐性を黙らせるのに十分であり、昨日までの怖さや様々な思いが消えていく。主が私の足に吊り縄を仕込む。楽な体勢になるのかという私の想像に反し、体のねじれでさらに苦痛を与えられた。休むことなく拷問が続くことに幸せを感じたりする。髪の毛縛りで固定された頭が下がれば、即ち呼吸が圧迫され、今の首の縄のテンションではほぼ呼吸ができなくなるということは体が分かっている。その恐怖が快楽に変わっていく。

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上半身の吊り縄がだんだんと下ろされ、そのまま逆さ吊りに変化していく。その変化の途中で、想像していた呼吸の圧迫があり、助けを求めた。主は「少しだけ待ってね」と冷静に言うだけだった。

逆さ吊りは立て吊りの厳しさからは少し穏やかなものになっていた。苦痛から生まれた快楽はここで一気に増大していく。主が撮影する間、私はその快楽の渦に飲み込まれるオンナと化していた。

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上半身が床におろされた時点で、再び縄を固定された。撮影されると思って少し力を抜いた瞬間、主の強烈な鞭が私の足に降りかかってきた。「俺にこんなもの持たせたらダメだろ」と自分自身を嘲け笑うような主の言葉。主も自分の性癖の深さを悲しみとして認識しているのかなとふと思ったりする。

鞭はもちろん幾度となく私に降りかかってきた。止まることはない。最近、私が最も欲していた痛み。脚もお尻もおなかも腕も胸も、主はどこだって遠慮しない。その鞭の振り方に、私が主の所有物だと感じる。出会った頃は逃げ回っていたあの痛みを今は強烈に欲し、さらにその痛みがほとんど快感になっていることにひどく驚いた。あとで自分の体を見れば痣も出血も体中にあるのに、私にとってはほとんど快楽の時間だった。マゾである自分を再認識し、その宿命をたまに呪ったりもする。

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鞭が終わった後、吊り縄を解かれた。これで終わりだと完全に思ったとき「とどめを刺してやる」と仰った。これ以上の拷問がまだあるのかと考え、そしてその瞬間にこのまま股縄で体を吊らされるのだと分かった。もちろん、立吊りをされる前から、私の股には縄が深く食い込み、その痛みからは一瞬たりとも逃れていない。そうした時間が1時間以上続いた後にとどめを刺すその主の覚悟に怯え、涙が出た。意識すればするほど股縄の痛みは増大し、そしてこれからの恐怖に涙が止まらなくなった。許してといっても許されるはずはないのに、許しを懇願し泣き叫ぶ。その私とは対照的に、主はいつもと何も変わらず、鼻歌を歌っている。そのある種恐ろしいほどの冷静さが私を恐怖のどん底に落とし込んだ。

股縄を中心として吊り縄が仕込まれ、そのまま体が上がっていく。上がっていく途中の少しの振動でも、私の大事な部分が絶望するような痛みを感じ、自ずと絶叫してしまう。そんな絶叫を複数回すれば、今度はその力さえなくなっていく。体が完全に宙に浮けば、主が体を回転させ、写真を撮り始める。痛みと苦しみで頭がだんだんと朦朧としてくる。声など出るわけもない。私はただこの拷問に耐え、涙を流し、絶望を味わうことしかできなかった。

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体を下ろされても、なお股縄の痛みは消えず、縄が解かれても痛みは変わらなかった。いや、あの縄から数日だった今だって、その痛みとともにこのブログを書いている。鞭や縄で作られた痣は体のあらゆる箇所に残り、その痛みや傷こそ、私が自分自身の被虐欲に飲み込まれないためのお守りだと改めて思う。