繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

discipline #29 床縄

床縄の恐ろしさは、その痛みを継続できる点にあると思う。吊り縄は体への負荷が大きな分、時間が限られている。そのため、たとえ苦しい痛みがあっても、その時間に耐えるのはそれほど長くはない。しかし、床縄はちがう。体を固定されてしまえば、その痛みからは逃れられない。その割に、体への負荷が少ないので、逃げる余地がない。主が苦しむ姿を楽しみ、撮影し、ゆったりとお酒を飲んでいるその間、私は苦痛に悶え、足をこわばらせ、あの世とこの世を痛みで行き来する。

何度目かの感染拡大で、なかなか出歩くこともできなくなった。一週間ぶりの縄が、私にとっては「久々」という文字が当てはまることに、普段、いかに恵まれているかをあらためて実感する。

今年の縄初めで下ろした縄は、主の手入れにより毎回まるで別物のように変化を遂げ、蜜蝋を入れることにより、縄自体の密度が上がったように感じた。縄の全てで私を掴んで離さない、蛇のように締めてくる。お腹の中に入る猛烈な苦しさも、最低限の呼吸を残し、後は捨てさせられる強制力も、やはり私が求めている苦痛そのものであって、そこに不純なものはまるでなかった。股縄は私の大事なところの一番繊細なものを容赦なく潰し、その痛みに思わず声が出る。

しかし主は私が声を出すことを許しはしなかった。「だまれ。うるさい。静かにしないと解くぞ」と冷静に告げられ、お尻を強烈に叩かれる。もちろん、解かれるほど辛いことはない。それに、この痛みに耐えれる喜びも十分に感じていた。

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声で痛みを逃せられなくなると、痛みは体の中に溜まっていく。溜まっていった痛みはいつか爆発し、その瞬間に全ての痛みがどこかに消えていくような感覚がある。消えた痛みは少しの刺激で戻ってくる。その戻ってきた時が最も怖い瞬間。確実に、前よりも痛みは大きくなっているからだ。

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写真を撮った後、後手を解かれた。なんとか逃げられないかと股縄に触れてみた。むしろ、後手を解いて下されば少しは痛みから逃げられるだろうと思っていた。

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でも、現実はそんなに甘くなかった。股縄は1ミリも動かず、私が引っ張ったことでさらに食い込むだけだった。自分が痛みから逃げようとした罰のように感じた。体勢の苦しさも、股縄の痛みも限界を超えていた。突然涙が溢れ始め、溢れた涙は止まらなくなった。縄を解かれている間、私は泣き続けて、そしてその泣き続けている顔を主は写真に収めた。

時に、主の縄に耐えられず、捨てられるのではないかと怖くなることがある。でも、縄が終われば、その限界を超える縄で崩壊していく私をみて楽しんでくださっているということも分かる。

絶望も幸福も全てを主にコントロールされている喜びは、何者にも変え難い。