繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

discipline #28 新年

慌ただしく過ぎた年の瀬が終わり、新年を迎えた。主との縄納め、初縄を経て、今年もまたこの縄を受けられる喜びを改めて感じる。

二人きりで縄サロンを貸し切った日、新しいスリップを持参した。「買ったの?」という何気ない一言がとても嬉しい。

縛り始める前に、主が浮遊竹を準備されていた。とてつもない苦しみが待っているのだろうと分かる。後手をし、縄が私の体を絞め始める。首に通った縄はあいかわらず呼吸をひどく圧迫し、さまざまな思考回路を強制的に閉じていくような感覚さえある。でも、その思考回路のせいで普段は日常が生きづらいとも感じているのだから、私はあの強制的に閉じさせられる縄で解放されている。何度経験しても不思議な感覚だ。

お腹に縄が入り、上半身に苦しみの縄が完成すると、そのまま立たされた。浮遊竹に体が固定され始めていく。股に通った縄は決して強いものではなかったが、全ての体が浮いた時の痛さを想像して怖くなった。折り畳まれた足を縛られ片足で立つ段階になると少しずつ股縄が私の大事なところを圧迫し始めた。主がもう片方の足を強制的に地面から離すと、言葉にならない苦しみが私を包んでいく。

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叫んだり許しを請える段階の縄はまだ優しい。この段階になっていくと、言葉を発する余裕もなく、呼吸をすることで精一杯。主が写真を撮られる間も、鑑賞される間も、私は極限の苦痛を味わっていた。それでいて、完全な幸福状態だった。苦しみが体の中に吸収され、痛みが自分の一部であるような感覚に近づくと、桃源郷が見えてくる。その痛みの中に鋭い光が差し、だんだんとその光が大きくなっていく。光に包まれる頃にはこの世界に意識はない。気がつけば足の縄が解かれていた。

その後、足を縄で打たれた。打たれていることは分かるのだが、痛みを感じない。「足を上げないと痛くなるよ」と主に言われたが、正直なところ足を上げたいとは全く思わなかった。もっともっと打たれ続けたかった。縄で桃源郷に行き、その後に鋭い痛みを与えられてそれを感じない段階に達したのは初めてだったから。打ち終わり、段々と意識が戻ってくる中で強烈な苦痛が戻り、私はその苦痛にも幸せを感じていた。

 

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脚は再び違う形で固定される。竹は私の体に何一つ添うことなく苦痛を与え続ける。私の苦しみに何一つ添うことはしない主の意志の強さを表しているような気がした。そして、その意志の強さが私の絶対的な安心感を生んでいる。

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体を休ませろと主が言った。私はわずかな休息を与えられたが、その間も縄が私の体を離れることはない。そして再び足を縛られそのままに吊られる。股縄が限界に達すると、足を上げられた。苦しみの中に安らぎを感じ、そして、その安らぎのなかに強烈な幸福を感じる。マゾとして最高の時間。

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結局私たちは数時間にわたって縄をし続けた。あっという間に日が暮れていた。二人だけの、たまらない年明けだった。