繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

discipline #34 呼吸

呼吸が止まる瞬間、すなわち死がすぐ側まで来ている時間がたまらなく好きだ。呼吸を止められるだけで、思考、動き、発声全てを止められてしまう。叫ぶことも許されない。どんな拘束よりも自由を奪われるその瞬間がたまなく好き。

主の縄は初めから呼吸制御が入る。首にかけられた縄に留めが出来るとそこから意識が薄くなっていく。何度経験しても、やっぱり毎回それは想像よりも苦しくて、「そうだ、こんなにも苦しかったんだ、、」と思い知らされる。そして、思い知らされることによって、私はより深く主の縄に入っていく。

縄でお腹を締め上げられると呼吸の位置はどんどんと上がる。浅く息を吸うことしかできず、吸うたびに苦しみを感じる。最近の縄は声が出せないほどに首を絞められ、その時間が私にとってはたまらないものになっている。たまに、声が出せるか試してみたりもする。でもそれは浅い呼吸と共に出る僅かなうめき声にしかならず、助けを呼ぶこともできないという事実を突きつけられる。

腰、股縄、お尻、足、と縄がかかっていくその時間も呼吸の浅さは変わらず、そしてだんだんと脳が思考を停止する。頭であれこれ考えることに酸素を使えなくなる。「苦しい」という感覚しか自分の中になくなると、その苦しさは快感に変化していく。主が責めを足せば、私はその責めでより快感を得てしまう。

半吊りの責めが終わって体が地上に戻ってくると少し縄が緩む。先ほどまでの極限の呼吸の浅さは無くなり、声が出るようになる。そうすると、痛みや苦しみの感覚が戻ってきたり、主の言葉が聞こえるようになる。股縄がひどく痛めつけられていることに気づく。許して、と叫ぶ。そうして、叫べる、ということに感謝する。

主が私の体を踏みつける。そうすると、また、縄の苦しみが思い出される。背中から首の辺りを強く踏まれると呼吸ができなくなる。完全に息ができなくなる。主の従者だと最も感じられる時間。呼吸をしばらくしなくても脳はまだ思考をやめない。このまま落ちれば死ねるかな、死にたいな、でも、今は死にたくないな、死んだら悲しむ人がいるかな、そんなことを一瞬で考えたりもする。そして、私が死んだら悲しむ人はきっといる、ということに幸せを感じたりもする。

こんな取り止めのない文章で何を伝えたいのかもわからなくなってるけど、つまりは呼吸を制御されることによって私は苦痛も快感も幸福も感じているということ。そして、その感覚を与えていただいているのが他でもない主である、ということが、何よりも幸せ。

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(注:縄を首にかける行為は大きな危険を伴います。真似をされないようにお願いいたします。)