繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

column #6 サブな私の頭の中

サブである私が自分に課している唯一にして最大のミッションは「いかに主に楽しい時間を提供するか」です。これが達成できるのであればほとんど手段は問わない。ほとんど、と書いたのは、私や主の生命や生活などに大きく影響が及ぶことはできないからです。例えば私が死ぬことで主が喜ぶとしても、それはできないのです。

でも、それ以外なら本当になんでも良い。美味しいご飯だろうが、デートだろうが、縄だろうが、構わないわけです。もっと言いますね。その楽しみの中に私がいなくても構わないわけです。違う女性でも、男性でも、人間じゃなくても、主を楽しませる人、モノ、事象であれば問わないわけです。私のサブとしての欲は「主が楽しんでいる顔を見たい」ということに集約されるのです。

 

なに綺麗事言ってんだよ、って話ですよね。うん、そうです。マゾとしての私は常に苦痛を求めているし、主の縄を求めているし、もっと虐められたと思っている。マゾの私は、です。

 

冒頭書いたのはサブ(submissive, 「服従的な」という意。)である私、のお話です。

私の中でのマゾとサブは両立、かつ、独立しています。普段ブログで書いている痛めつけられて喜ぶ私はマゾの部分な訳です。さらにいうと、サブとマゾで欲求が異なる時があります。例えば、縛られたいと思うマゾの私と、お仕事でお疲れだから今日はお休みになって明日からの楽しい時間を存分に満喫してほしいと思うサブの私。こういう時、どちらに重きが来るか、というと、実はサブです。断然にサブなのです。

もう一つ例示。主と縄会に行ったとして、私がマゾの部分で痛めつけられたいと強く思っているとします。でも主が他の方と楽しくお話しています。こう言った時、マゾはその姿を潜めてしまいます。強がりでもなく、サブの私が「うわあああ主が楽しそう!!うれしいー!!!」と大興奮してるからです。

 

「他の女性を縛っていることに対して、嫉妬しないんですか?」と本当によく聞かれます。普通の恋愛ならありえないですよね。でも、実はサブの私はそうやって主が楽しんでられることがとっても嬉しかったりするのです。結構ガチで。笑 「楽しかったわー」と後日お話いただいたりすると「よかったああああ!!!」と大興奮なサブの私なのです。

例えば、主が他の方とプレイをしていたとして、そのプレイがめちゃくちゃ楽しそうなら正座で大興奮なわけです。もちろん、私のいないところでされていても、楽しい時間送られてるかなーとニヤニヤして待っている頭おかしい奴なわけです。笑

 

さて、ここまで語って、どれだけ主の楽しみに命懸けてるかお分かりいただけたかと思います。ということで、私が唯一攻撃性を持つとしたら、主の楽しみにならない上に、ストレスを与える人です。とっとと去ってくれ、と思う。

もちろんそれは、自分に対してもそうで、私の存在が主の楽しみでなくなれば、私は潔くこの立場から退こうと思ってたりするわけです。

 

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