繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

死を考え、生きるに至る。

いづれ、この世の全てに刺激がなくなることはあるのだろうか。痛みや苦痛を求め生き急ぐということは、命の終焉に急速に近づいているということではないか。

もっと、もっと壊されたい。破壊されたい。それでしかリアルを感じれなくなっている。大抵は想定の範囲内で、自分が思うような筋書きにしかならない。つまらない。

 

それならいっそ、自分を最大の快楽の中で終わらせてしまいたいと思ったりする。

快楽が苦痛であるとするならば、最大の快楽はすなわち苦しみながら死ぬことなのではと最近よく考える。

 

もちろん、自死を選択することはない。

でも、もし、私が本当の孤独で、純粋に苦痛を与えうる相手がいたとしたら。その相手が罪に問われないとしたら。もしくは、私が幼少期に過ごしたあの環境のままだったとしたら。

、、、間違いなく、最期まで逝きたい。

 

ではなぜ、死なないのか。この性癖を持っているにも関わらず、なぜ私はまだ生きているのか。どちらかというと生かされている、と言った方が正しいか。

それは、「死」へのハードルとして、私の周りにはたくさんの居場所があるからではないか。この状態では死ぬことができない。責任があるから。私が死んだ後の未来で、少なからず絶望を感じる人はいるだろうから。

 

そうやって考えるに、恵まれた環境で苦しみながら生きているこの生き方こそ、マゾとしての生き方なのかと思い至る。

 

死ねない、という枷。

苦しんでも生きろ、という桎梏。

日々、苦痛。故に日々、快楽。

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