繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

またこの感情か。

自分の被虐性が憎い。
自分の被支配欲が憎い。

何度だってこの状態になった。初めての主と別れた時、その次、その次、、、そして今回も...そうやって、この辛さを知るたびにSMから離れたくなって、それでも離れなくてその事実に絶望する。私にもし被虐性がなかったらどんな人生になっていたのだろうか。少なくとも、レイプ被害にあうことも、実の両親から「お前は病気だ」と言われることも、精神科に連れていかれて文字通りの拷問を受けることもなかった。そして、SMに費やしてきた相当な時間も労力も金銭も、他のことに使えたのだろう。

では、「他のこと」とは何だ?私からSMを奪えば何が残る?何を楽しみに生きられる?結局は、生きられない。自分を構成する要素の中で被虐性や被支配欲があまりにも多くを占めている。そこを軸にしないと生きていけない。

逝くことも、苦しむことも、絶望することも、もはや限界を超えないと満足できない。もっともっと命を支配されているという感情が欲しくなる。この欲は底なしだ。強欲なマゾ、そんな言葉を自分で吐き出して、自分自身をあざけわらったりする。

他者の行動の意図が瞬時に分かってしまう。言葉の矛盾を突いてしまう。大勢の人と遊ぼうとは思えない。でも、分かってくれる人の元でならどこまでも奉仕し、尽くしたい。私を見下げる支配者の目がある空間にいる時だけ自分でいられる。痛みを与えられ恐怖を感じる時間だけ、心が穏やかになる。この人には敵わないという感情でしか、性的な快楽を得られない、人を愛せない。そして、敵わない、と思える相手には滅多に出会えない。彼は、その滅多に出会えない相手、に該当するわけだけれども。彼の怖さは、また別のところにもある。

生き急ぐマゾの最終地はどこ?
どこに私の人生の答えはある?
私がここまでの被虐性を持って生まれたのは、なぜ?
なぜ、神様はここまで私を苦しめる?

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