繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

美しく生きれなくても

私には今、いくつかの居場所がある。少なからず、遊んでくださる方もいる。そして、普遍的に穏やかに恐怖を感じれる特別な存在。

私はずっとずっと求めているものは主従だと思ってた。主従でしか満足できないと思ってた。ご主人様という絶対的な存在にひれ伏さないとマゾは解消できないとも。

でも最近はとても穏やかだったりする。主従はどこにもないのに心の安寧がきちんと保てている。性的な興奮にも、苦痛や快楽でさえも「遊ぶ」と表現を使える自分がいたりする。

 

それは、何も被虐性や被支配欲が薄まったわけではないだろう。それどころか、求める痛みはますます鋭いものになっているようにも思う。でも、それが暴れないのは、その欲を満たせる場所をようやく見つけ始めたからなのかもしれない。

主がいた頃はそれが1箇所だった。あの存在が全てだった。でも、今は違う。様々なご縁の中で欲を満たし、満たされている。それで十分なのかもしれないと思ったりする。

おそらく、私の被虐欲をたったひとりにぶつけ、その人で全てを解消しようとすることはほぼ不可能だろう。完璧なご主人様など存在しないとも、ようやく認められてきている。

だからこそ、私にはいくつかの場所が必要で、そして、いくつかの場所が存在する。この思考回路や状況を他者に理解してもらおうとは思わない。理解できるとも思っていない。(そしてきっと、たったひとりのご主人様に仕えているマゾ、のほうが形としては綺麗なのだろう。)でも、私のドス黒い欲望やとめどなく溢れる被虐性を使ってもらえる場所があるなら、そこで楽しめればよいのではないだろうか。私の被虐性を笑い、使い、そして私にエネルギーを与えてくれる存在がいるなら、その存在を減らさなくても良いのではないか。

ただ、その中で、私が崩壊しないための支柱として彼という存在がある。私にルールを与え、心身ともに安全でいる領域で遊ぶように指示する。私はその中で自由に遊ぶ。でも、その領域を越えることは絶対しない。それは主従だからではなく、彼が私を愛しているから、愛していることを分かっているから。私が苦しまないように、ということを考えてくれているから。

 

生きる上で何よりも重要なのは、心の安寧をいかに保つかだと思う。そのためなら、全てを美しく生きれなくても良いのではないか。

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