繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

discipline #20 温度感

なぜ、これほどまでに苦しみを求めるのか、そんなことをこれまで何度も考えてきた。SMに出会った頃は、この性癖は家庭環境に起因するものだと思っていた。居場所を確かめるために痛めつけられたいのだと。だから、居場所を与えられたらこの世界から卒業できると思っていた。幸いにも、実家から距離を置くことに成功し、仕事も充実している。居場所もある。それでも結局、私は痛みや苦しみを求めてしまった。この事実に直面した時の絶望はかなり強く、自分の被虐性と一生付き合わなければいけないのかと深く落ち込んだ時期もあった。

でも、主と出会ってからは、自分の被虐性を嫌いになることがない。私の被虐性は主が楽しむためのツールとして機能し、被支配欲は主の従者としての居場所をただただ心地よくしてるものだから。

 

再度のコロナ感染拡大に伴い、2人きりの縄が増えている。最近の縄は、まるで会話するようにその強弱が変化するものになっている。後手で縛られてから、いくつもの責めと休息があり、その間も縄が私の体を離れることがない。縛られたまま数時間が経過することも少なくない。

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もちろん、このような遊びは、私の体や心を誰よりも知っているパートナーだからこそ。違和感を遠慮なく伝えられるその空気感を与えてくださっていることにも強く感謝している。

 

柱縛りに恐怖を抱く私を躊躇なく縛りあげていく主の表情や汗に、私の恐怖感を取ってしまおうという気迫が感じられる。そのまま吊り上げられて、股縄の痛みに耐える時間。限界まで責められ、声にならない声が出る時間。降ろされる時のあの安心感。主が私を思ってくださってるその気持ちが強烈に伝わってくる。


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階段の手すりを使っての責め。左右の重心が移動するたびに、痛む範囲が広がっていく。痛みから逃れようと動いたはずなのに、結局、痛みを増やすだけだったその行為に、否応にも敗北感を感じる。


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女囚のように縛り上げられ、撮影される。かつて撮影されることに強い拒否感を抱いていた私がこんな時間を楽しみ、また、ブログやSNSで自分の姿を晒け出していることこそが、主が私に与えてくださっている安心感の何よりの証拠。

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そして、最近思う。私たちの縄は、言うならば普段の会話のようなものになってきているのではないかと。盛り上がる会話や安心する会話があるように、縛り方で主の気持ちや温度が感じられるようになってきた。そして、それに呼応するように、こちらの温度も変化する。そして混ざり合い、溶け合う時間が心地よい。

被虐性や被支配欲が縄の中に吸収されて昇華される。私の被虐性が異質でないものとして受け入れられている。「痛めつけられる」という行為が生きていくためにどうしても必要な私にとって、最近の日常は本当に穏やかだ。

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