繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

discipline #10 責め縄の段階

ひたすらに苦痛が欲しくなっていたサロンに行く朝、主をお迎えに行く車の中でも私は自分の被虐性をおさえられなくなっていた。主の支配下でありながら、そんな感情でいっぱいになってしまう自分に少し苛立ってしまう。

 

主の家の前で車を停め、出られてくるのを待つ時間。今日はどんな縄を受けられるのかと妄想しては、その妄想さえわがままなのではないかと思ったりもする。。。

 

「おまたせー」

主が出て来られた。気持ちが少し落ち着く。今すぐにでも抱きつきたい感情を抑えて車を走らせた。

 

サロンに到着すると縄床は空いていて、早速縄を受けられることになった。うれしく、恥ずかしく、そして幸せな時間の始まり。さっきまでのごちゃごちゃの感情はまだ少し残っているけれど、縄を受けたら縄の苦痛で頭がいっぱいになれることはわかっている。

 

スリップは容赦なく剥ぎ取られて、私は上半身に何も身につけるものがなくなってしまった。主がそうされれば私は従うしかない。そこに拒否権はない。

 

でも、そこに嬉しさもある。私は自分の胸に強烈なトラウマを抱えているから。。。アトピーで肌が弱く、かつて「胸が汚い」と暴言を吐かれてことがあった。だから、自分の胸を見せることがずっと苦手で、パートナーでさえ嫌だと思う時も多かった。でも、主はその胸でさえきちんと丁寧に縄をかけてくださる。そして、主が私の胸をほかの人に見える格好にしてくださるのも、大丈夫なんだよ、と私に伝えてくださっているようで嬉しい。私のトラウマを理解して、ある種の強制力で私をそのトラウマから剥がしてくださっている。まさか、自分があんな大人数の場で胸を出してもそれでも安心できるなんて、本当に考えられない未来になっている。

 

主の縄の経験が増えるたびに、その掛け方でその日の縄の深さがわかってきたような感覚がある。はじめに鋭い苦しさがない縄はその後に縄の伏線を回収するような苦しさが待っている。そういう段階の責め方は本当にたまらない。予測して感じる心地よさ、予測していた苦しさがくる心地よさ、そして、予測を大きく超える苦痛を与えられる段階、そして限界、、、その全てが私にとっては至福の時間だ。

 

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縄をお腹までかけられると私は言葉を発することができなくなる。縄の苦しさに陶酔する時間が始まっていく。

 

 

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そして、股縄をかけられる。性的な興奮が一番強い時間。声を抑えようとしても出してしまう。腰が勝手に動いてしまう。苦しさと快感の両方で私は縄に全てを預けていく。

 

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梁に縄をかける音がすると、自然と怖さが増えてくる。吊られていくにつれ、快楽がいなくなり、苦しみが最大に強まる。体のバランスが変わるたびに、今まで感じていなかった部分の縄まで体をキリキリと苦しめ始める。

 

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そして、私の体は固定され、主が私をカメラに収めていく。縄の苦しみに酔える時間。直接的な性的快楽はもはやない。喘ぎ声なんか出す余裕は無くなり、呼吸と呻き声しか出なくなる。この苦しみを縄で受けられるのが、まさに「責め縄」を主体としたサロンの特徴。ひたすらに強烈な苦痛が私を襲ってきて、私は幸せを感じる。ここに居場所があると強く感じる。

限界を超えてもなお、スパンキングを与えられる。痛みに意識を飛ばし、痛みで意識を戻すこの時間が何よりのご褒美だ。

 

かつて、私はいつも縄を解かれるときに寂しさを抱えていた。もっと苦痛を与えられたいとずっと思っていた。でも主(サロン)の責め縄はその感覚がない。限界まで追い込まれて、最後には縄を1秒でも早く解かれたいと思えるほどに責められる。だから、縄を解かれても心が満ちたまま幸せだけに包まれる。

 

そんな縄を受けられる時間はまだ、もう少し続いた。

 

(長くなるので2つに分けます。)