繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

discipline #11 主の縄だからこそ

サロンの縄床では次から次へと責め縄が続いている。一縛目が終わって、ゆっくり縄を解いていただいた後も、夢見心地な気分。その夢現の中でいろいろな方の縄を、責めを、みれるのも、また幸せな時間だ。

 

縄床が空いたタイミングで、さらに縄をかけていただけることになった。今度はどんな責めを与えていただけるのだろうと心が躍る。

 

後手をされたら、心の拠り所がここだと強く感じられる。私はもう主の思うがまま。あっという間に身動きが取れなくなり、足を大きく開かれてしまった。

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苦しさの上に羞恥が重なる。股縄が下着の上から惜しげもなく食い込んでいく。自分の姿を想像しては恥ずかしさで頭がいっぱいになる。

 

でも、時折感じる主の息遣い、手の暖かさを感じるとどうしようもなく幸せな気分になっていく。主がここにいる、と言うことが私の何よりの精神安定剤だから。

 

さらに責めが続く。木のヘラでのスパンキング、鞭、全身に痛みが走っていく。逃れられずに感情が崩壊していく。

 

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洗濯バサミを舌につけられ、私は痛みを主張することさえ禁じられてしまう。ただ痛みに耐え、遊び道具としての存在になることしか許されないないその絶望に涙が出てくる。いつまでこの責めが続くのか、、、そんなことを考え始めていた。まさに、限界だった。。。

 

やっと苦痛から解放されて主の暖かさを感じることができたとき、その涙は止めどなく流れ出す。怖かった、苦しかったという負の感情が昇華され、暖かな空気に見事に切り替わるこの瞬間のために、私は加虐を受けているのだと思う。

 

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すべての調教が終わり、最後に撮っていただいた写真。どれほど絶望に体を歪めても、全く緩むことないその縄が、私を思ってくださる主の気持ちの強さにも感じた。

 

私は加虐を与えられても、それが心の底から隷属し、支配を受けたいと思える相手でなければ本当の意味では楽しめない。自分でブレーキをかけてしまう。限界を迎えてもその後に幸せな感情を抱けるのは、主の支配下であるから。主がそこに居てくださるからこそ、主が楽しんでくださるからこそ、私はその苦痛を喜びに変えられる。私にとっては主が楽しんでくださるか、そうでないか、それが重要な要素。