繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

column #5 パートナー?SM婚?

(ただの駄文で、個人的見解です。)

 

なぜ、SMを求めるのか?

なぜ、苦痛を求めるのか?

なぜ、パートナーが必要なのか?

 

自分の中で整理することが重要では。分からないままに闇雲に遊んだり、パートナーを探しても心の穴は埋まらない。むしろ、嫌な思いをすることの方が多いのではないかとすら思う。もちろん、遊びの中で見つかることもある。ただ、それは「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」的考えで、それをSM(特に縄)でするのは体へのリスクも大きい。

排他的な考えかもしれないが、承認欲求のためのSMなら、それほどハードなことをする必要はない。むしろ、SM行為の有無に関わらず、きちんと承認欲求を満たす方法を考えた方が良い。そしてその際に重要なのは、誰かと比較して満たされるような方法は、そのうちにまた他の誰かへの嫉妬につながると言うこと。言うまでもないことだが、パートナーを作るのではあれば、その人の外的要素(有名、お金持ちなど)ではなく、内的要素(性癖、性格、向き合い方、価値観の一致など)に惚れる必要がある。ましてや「パートナーがいる自分」で承認欲求を満たそうとするのは大いに間違っていると私は思う。

SM婚はさらにハードルが高い。特に、「SM婚をする」という点に目的とゴールを置いていると、結婚した後の生活を想像しにくい(「東大合格」を目標にしてしまった受験生の入学後のようなもの)。SMで繋がって結婚できることは素晴らしい。自分の性癖を理解してくれるパートナーというのは結婚において大きなメリットだ。ただ、その性癖だけで繋がる関係性はあまりに脆い。結婚した後には日常を二人で過ごすことになる。家事、仕事、親戚付き合い、もしかしたら子育ても、そう言ったさまざまな日常を過ごし、困難を乗り越え、意思疎通できる相手なのかと言う点を見極める必要がある。そして、SM以外での共通点や価値観の一致、惚れる点が少なくとも一つはあることが必要であるとも思う。

パートナーにしろ、SM婚にしろ、それ自体は結果であって目的ではない。目的は「自分の安定できる場所を作る。自分が心底惚れた相手と一緒にいる。自分の性癖を解放できる」という点ではないかと思う。結果と目的を取り間違えると、その結果を手にした時からポロポロと理想がこぼれ落ちていくのではないだろうか。

「ご主人様」「主従」「パートナー」「SM婚」現実ちゃんと見てますか、と言うお話。

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