繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

discipline #39 コミュニケーションの方法

思い返せば、主と出会ってからの日々で苦しかったことなど一日もない。苦痛を与えられているのにも関わらず、毎日が本当に幸せで楽しく穏やか、ほとんど奇跡ともいうような日常を送っている。

主は私の精神状態を察知することが極めて得意だ。得意というレベルではない、ほとんど筒抜けだと思う。例えば、一時的に気分の落ち込みがあったとしても、それでも「筒抜けである状態」が私を本当の闇に行くことを許さない。落ち込めば、落ち込んでいることをネタに面白がられ、楽しまれる。楽しまれれば、即ちそれは私の喜びになってしまう。このバランスが日々の幸せで楽しく穏やかな状態を保っているのだと思う。

主の楽しみのためなら、どんな恥も苦しみも痛みも感じたいと思う。主が笑っていることが何よりの幸せだから。

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さて、先日の縄の記憶を少しだけ。

体調を崩し、一週間ほど全く会えなかった。そしてやっと迎えた縄の日。主も少しお疲れなご様子で、「お互いにリハビリ縄だよ」と仰った。いつもの後手から進む縄は確かに負荷がかからない縄筋を進んでいった。お腹の圧も喉の締まり具合も、少し物足りないほど。でも、これもまた、快感を大きく引き出し、たまらない縄。だんだんと縄に陶酔していく。縄の感触が体に広がっていくとその心地よさが心にも広がる。「気持ちいいか。少し縄に浸っとけ。」と主が仰った。そして、タバコを吸われている。私はこの時間がたまらなく好き。床に転がる私とそれを見下げる主。声。空気。もう何度も何度も経験したけれど、今でも思い出せばそれだけで体が感じる。

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吊り縄を仕掛けられ、体が吊られていく。やはり負荷が分散される縄筋だ。本当に心地よい。快感。苦痛はまるでなかった。

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しばらくすると太ももに吊り縄を足された。そのまま足が上がっていく。そうすると、まずお腹の縄が私に圧をかけていく。首筋も絞められ呼吸制御が突然始まる。声が出なくなっていくと拷問の始まりだった。苦しさの上に命を預けているという感覚が強烈に乗る。マゾとしての自分が興奮していく。快感が消えても、むしろ脳や心はさらに深く陶酔していった。さっきまでの「リハビリ縄」はどこかに消えていた。

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呼吸が限界まで押さえつけられた体勢がしばらく続いたあと、背中の吊り縄が外され、完全に逆さになった。呼吸が解放される。解放されると酸素を求めて鼓動が速くなる。この瞬間もたまらない。生きて返してもらったのだ、という幸福に包まれるから。

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主との縄は即ち生死をかけたコミュニケーションだと思っている。あの人だからこそ、ここまで全てを預けることができる。もし、主もまた、「こいつだから、ここまで責めることができる」と考えて下さっているとしたら、それ以上の幸せはない。