繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

discipline #42 躾けられているという状態

主との関係が2年を超えた。体も心も随分と躾けられ、変化してきたように感じている。例えば、私の体には縄や鞭でついた無数の痕がある。おそらく一生消えないであろうものも幾つかある。でも、その痕は私にとっては目に見える形での「主からの愛」であり、この2年が夢幻ではないという証そのものである。

心はどうだろう。主との主従関係が長くなってくるにつれ、日常を共に過ごす時間も長くなっていく。仕事で疲れた日には、食事をしてそのまま帰る時もある。言葉もカジュアルになってきた。主従でありながらも「大切なパートナー」という認識が強くなっているのもまた事実だ。

上下の距離感が縮まれば、それだけ主従関係としては不安定になる、というのが私の定説であった。その考えに従えば、私と主の関係性はかつてよりも不安定になっているのではないかとも考えたりする。でも、実情はまるで違う。むしろ、日常の時間を過ごせば、その対比である主の支配力や加虐欲の恐ろしさを改めて認識することになる。

縄や鞭、スパンキング、呼吸制御など、普段行っているSMプレイではなく、洗濯バサミで徹底的に責められた日、私は主の恐ろしさを自分の中で確固たるものとして認識できていることに気づいた。

手首を上部の竹に固定され、背伸びでギリギリ届く高さに固定される。そして、着ていた衣装は乱雑に切り取られ、洗濯バサミを胸につけられた。金属製のそれは木製やプラスチック製のものとは比べ物にならないくらいに痛く、挟まれた瞬間から全身が力み始める。両胸、胸の周り、お腹、太もも、と主が持っているほぼ全ての洗濯バサミを体につけられ、最後の一つを舌につけられた。舌につけられると、発声の振動が舌に伝わるため、声を出せなくなる。いや、出す気力を失ってしまう、と言ったほうが正確か。

f:id:mayu_submissive:20221102184916j:image

f:id:mayu_submissive:20221102184922j:image

しかしかつては、それでも叫んでいた。叫び続ければ、助けてくれるだろうという考えがあったから。そして、(過去をあまり比較には出したくないが)これまでの経験上、ある程度叫べば助けられたという事実がその考えを強化していたから。

でも、主の支配下に入って2年が経ち、調教の時に一度も私のタイミングで許されたことがないことを体が認識すると、叫んだり泣いたりすることがなくなった。余計な体力を消耗するだけで許されないのであれば、むしろその痛みを体の中に溜め込んで、その痛みの中に入ってしまいたいと心が認識しているのだろう。まさにこれが「躾けられた状態」であるマゾなのだと思った。絶叫や涙なしに、純粋に絶望や恐怖、痛みを存分に感じられる状態に心身ともに変化していた。

f:id:mayu_submissive:20221102183019j:image

主に畏敬の念を持ちながら2年という月日を重ねられたことに感謝し、また、今後もこの気持ちを持ち続けられることにこの上ない幸せを感じる。

3年目も、主の従者としての役割を存分に果たしたい。