私は「主従関係」、「支配と服従」がなければ、満足できない人だ。
縄や鞭はもちろん好き。その瞬間は興奮する。でも、、、それからしばらく経つと虚しさが出てくる。(つまり心の深部が暖まらない。暖まらないから何度も繰り返す。)
最近よく、
「支配ってどういうことなんですか?」
「主従ってどういう関係なんですか?」
と聞かれる。
明確に答えられたことがないので、少し考えてみることにした。
そもそもの意味。
支配(しはい)
①仕事を配分し、指図し、とりしまること。
②物を分け与えること。分配すること。
③統治すること。
④ある者が自分の意思・命令で他の人の思考・行為に規定・束縛を加えること。そのものの在り方を左右するほどの、強い影響力を持つこと。
(広辞苑から引用。一部抜粋)
もちろん、わたしが意図する「支配」は④の意味。つまり、「主の意思や命令がわたしの思考や行動を規定し、束縛を加えている状態」であることが「支配」されている状態と言える。
(さすが広辞苑。わかりやすい。笑)
私が考える主従関係は、主人と従者の間に支配関係が成り立ち、その関係性により両者が安定できることだと思っている。
また、さらに理想とする主従関係は、主人の理想となるように従者が成長する過程がある状態だ。
今、私は痛みに対する躾、苦しみに対する躾、体型に対する躾を施されている。前2つは調教時に行うものだが、体型に対する躾は私の日常生活に及んでいる。このような状態も私の理想。
自分がなぜここまで支配を求めるのかと、幾度と考えた。最近は、自分の根本にあるはずの愛情が欠落していて、その愛情の代わりに根本を安定させるためだと、理解している。
桜の木があったとして、その桜が満開に咲いていても、根が腐っていたら来年はきっと咲かない。その時に対処すべきは花でも葉でも枝でもなく、根、もしくは木の深部であることは容易にわかる。
私の生活も、どれだけ嬉しいことや楽しいことがあったとして、基礎の部分に空洞があったら全てがぐらついてしまう。
その基礎の部分を固められる方法は今のところ「支配されること」しか見つかっていない。
だから、わたしは支配を求める。