繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

essay #1 主との関係性

主と出会って3ヶ月半が経った。被虐性を怖がることがなくなり、生活が充実し、主の足元の居場所を毎日感じれる日々。どれだけ考えても、私は幸せ者すぎる。

 

主と出会うまで、私は主の存在を全く知らなかった。これまで、どんなことをされて、どんなコミュニティで動かれていたのか、どんなお仲間がいらっしゃるのか。でも、それが私にとっては良かったのかもしれないなんて、最近思う。主と出会った時、もし、主がどういう人なのかを明確に知っていれば、畏れ多くも奴隷にして欲しいとは言えなかっただろう。

 

でも、出会った時から主は真っ直ぐに私を見てくださっている。一対一で正面から対峙して、私との関係を構築してくださった。「病ませない」という言葉をいただき、たとえ外で遊んでも体を痛めてはならないというルールを与えてくださり(無論、私はもはや主の縄でないと満足できないのだが)、そして、最も主に近い場所で最下層としての存在に置いてくださっている。外の声が気になってしまったときも、真っ直ぐに俺だけを見ろと仰った。俺の言葉より信じれるものがあるのか、とも。その言葉が何よりも嬉しかった。私は完全に主のものだと強く感じれることがとてつもない安心感につながっている。与えてくださる苦痛が大きくなるほど、主の愛情を感じられるし、笑いながら私をおもちゃにして遊んでくださる時間が(くやしいほど)好き。

 

でも、決して、主は私のものではない。

 

主のことをまだ3ヶ月半しか知らない私が言うのも変な話だが、主の縄はこれまでもたくさんの人を救ってきたと思うし、これからもそうであってほしい。縄だけではない、主の人間性そのものが多くの人の楽しみや光になっていると思う。

 

私は、主が縛っている姿を見るのがとても好き。その女性が恍惚の表情になり、そして解放された時に笑顔になる瞬間が本当に嬉しい。その気持ちを共有できる仲間ができたような気持ちになる。もちろん、主が縛っている姿は最高にかっこいい。

 

さらに言うならば、従者として、正座をして(普段してないというツッコミはご勘弁。笑)じっと見て待っている時間も、私の被支配欲を満たしてくれる。

 

これから、どんな未来が待っているかなんて、誰もわからない。主といつかお別れがくる日がやってくるかもしれない。でも、私は主の従者でいれることを誇りに思うし、もし、この関係性が終わったとしても、そのことを誇りに生きていける気がしている。

 

あ、うん、でも、もちろんお別れなんて一生来ないで欲しい。いつまでも、主のおもちゃでいたい。

 

f:id:mayu_submissive:20210208055941j:image