繭の記憶

あるマゾにまつわる物語。

discipline #5

主の家への道も、すっかり思い出がたくさんできてきた。

初めて首輪をつけていただいた場所、四つん這いで歩いた場所、失禁した場所、、、縛られたままコートを脱ぐように命令された場所、、、

そんな場所を通るたびに毎回私は笑みがこぼれてしまう。その一つ一つの調教が主の愛情表現だと知っているから。

 

今日は仕事で少し疲れ気味、でも主の家までの道はやっぱり早歩きになってしまう。

ドアを開けると、主が料理をしていた。

 

「ハンバーグ食べるか?」

お優しい言葉に心が暖かくなる。

 

ハンバーグの下準備が終わってしばらくして、縄をかけていただいた。

 

主の縄はお腹に強烈な苦しさを感じるところから始まる。一番初めにかけていただいたときにその苦しさに驚いた。でも、今ではそれが私の居場所を感じる要素になっている気もする。あの縄がかかるとまるで空気が変わり、私はそこから言葉が出なくなる。主も話すことをやめる。

 

そこからの無言の会話がどうしようもなく好きだ。髪の毛から足の先まですべてに縄の苦しみが行き渡り、それが快感につながる。時折の更なる痛みでその快感が増大する。苦しみながら絶頂を迎えるときの至福の時間。そして、深い快感にどこまでも飲み込まれていく。縄をかけていただいているときは、呼吸をするたびに全身で縄を感じる。さらに、厳しくなってくると、自分の脈拍が縄で感じられる。生きている、生かされていると実感できる。そして、たとえ手首を解かれても拘束が解けることはない。その感覚にも虜になっている。

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主も私も加虐/被虐、支配/被支配がなければ生きられない人間だ。その重い十字架を背負ったまま生き続けなければならない。愛する人を痛めつけ、愛する人に痛めつけらることによって幸せを感じる、この性癖にどれだけ苦しまされてきただろう。

 

かつて私に、「SMを卒業しなさい」と言った人がいた。その人なりの私への優しさだったのかもしれない。でも、それは不可能だ。この性癖は、卒業するとか、離れるとかそういうものではない。私の被虐性や被支配欲は、例えば私が女性であるということと、ほとんど同じ大きさの「アイデンティティ」そのものだ。

 

だから、主が私と同じように「性癖/アイデンティティ」として加虐欲、支配欲を持ってくださっていることは、何よりも安心できる。主も私と同じように、この世界に生きている人だから。これからどんなに関係が長くなっても、お互いからその欲求が消えることがないと感じている。 

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あ、そう、、縄を終えてからの主のハンバーグは本当に美味しかった(笑)。

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